パリオリンピックも閉幕し、日本男子バレーも女子に続いて負けてしまい、日本中のバレーファンは肩を落としていますが、一番悔しいのは選手の皆さんですね。。。
日本はフルセット=互角の戦いの上で終わったのだから、そこに仮にメダルがなくても、悔やむべからず。
すでに、日本バレー界は、新しいプロリーグ(SVリーグ)も作り、今秋から盛り上がっていくこと間違いなしです!
また、パリ五輪で初めて競技種目になったブレイキンは夜中だったため、予選からファイナルの間の「魔の1時間」にうっかり寝てしまうというトラブルもありながら(笑)、ほぼ徹夜で見させていただきました。
奇しくも、バレーボールの男女の決勝戦や3位決定戦などと重なったため、画面を2つ開けて見るという事態が発生!
ブレイキンが競技となって賛否両論あった?ようですが、私のようなブレイキンに縁も感じていなかった者が昔から好きなバレーと共にこんなに夢中になったのだから、これは成功ではないですか。
ロサンゼルスオリンピックの種目に入っていないのが残念ですが、このような感情を抱かせるブレイキン、ほんとに魅力があるのかもしれませし、ヒップホップカルチャー全体を明るくしてくれたかもしれません。
今回は、日本のバレーボールエース石川 祐希選手の元チームメンバー(イタリア)でもあり、ヒップホップカルチャーにも精通している?優勝国フランスのバレーボールエースヌガペト選手について深堀りしたいと思います。
バレーボールのキャリア
1991年生まれ33歳のアーヴァン・ヌガペト選手はユースの時から欧州選手権などで優勝をしてきた選手です。
2010年の19歳でフランス代表になります。
ヌガペト選手が代表になった当時、フランスの代表監督をしていたのは、つい最近日本代表の監督を退任したあのフィリップ・ブラン監督です。
このブラン監督とヌガペト選手の間で口論となったことがあり、一時ヌガペト選手は代表を降ろされた過去があるようです。
ブラン監督も、厳しい指導で知られていたため、強い意志があるヌガペト選手と、チーム内の規律や戦術などで意見が合わなかった場合に衝突するのは容易に想像ができます。それにしてもヌガペト選手は、まだ当時は10代で代表に入ったばかりだと思いますので、なかなかの性格の持ち主なのだなと思いました。
結局、事なきを得て、2011年にヌガペト選手は代表に復帰し、さらに頭角を表していきます。
2014年にも、ヌガペト選手がフランスでクリスマスを過ごしたあと、元プロバレーボール選手の父親のクラブチーム(ロシア)に戻らずに騒がせたこともあったそうです。本人としては、どうしても行けない理由があったそうです。
しかし、2015年にはヨーロッパ選手権優勝。
ご存じのとおり、東京五輪や今年のパリオリンピックもフランスを優勝に導いた偉大な選手として成長しています。
プロレベルでも、コーチとの間でのコンフリクトの対処の仕方で苦労するのですね。
それが間違った方向に行く可能性もありますし、こうしてヌガペト選手のように大きい成功につながることもあるので、ヌガペト選手はいいコーチ陣に恵まれたのではないでしょうか。
そして、本人の信じる道を貫いたというのも大切なことかもしれません。
そんなヌガペト選手は、準決勝のイタリア戦で勝った時には涙を見せていました。
涙もろく、怒るときも、嬉しさを爆発させるときも、喜怒哀楽がとにかく大きいのかもしれませんね。
そういった一面がファンにとっても魅了させる点でもありそうです。
音楽のセンス
ヌガペト選手を注目する上でお伝えしなくてはいけないのが、ヌガペト選手はDJでもあり、ラッパーでもあるというところです。
現在は、Earvinという名前で音楽活動をしているので、ぜひ探してみてください。
SNS上では、音楽が彼にとって人生そのものであり、ラップは彼の人生において常に非常に重要な役割を果たしてきたということを、ヌガペト選手の母であるクリスティーンさんが語っています。
ヌガペト選手は少年時代、学校のノートに黒ずむまで歌詞を書いていたそうです。
その理由は、「はけ口」として書いていたと思う、と母親のクリスティーンさんは言います。
初めてラップをしたのは、非常にショッキングな出来事で彼のこころを揺さぶったとき。
少年時代、彼の友人のフロリーという男の子がこの世を去ってしまったのだそうです。
そのときに行き場のない感情を表現したのがラップだったとのこと。
ラップは、彼の人生において、とても重要な生きがいのようなもの、その音楽の才能と、父親から受け継いだアスリートとしてのヌガペト選手の両方を育んでいったのですね。
バレーの試合ではそんなところを全く見せてくれなかったですが、SNSを見ると彼の音楽愛がとてもわかりますし、フランスが優勝した時にはチャンピオンズパークでダンス+ラップでチームを盛り上げていました!
はけ口としてのラップはヌガペト選手の気持ちを代弁する欠かせないものだった。ブレイキンの表現者も同じだ。
読まれるかわからないこの記事を書いている筆者だって同じ。
みな、人間は成長する段階において、自分の本音を吐き出せる場所がどんな形でも必要なのだ。。。
ところで、フランス語のラップも実はとてもかっこいいです。
パリ五輪の開会式に登場したAya Nakamuraという歌手を覚えていますか?
なぜ日本人の名前?と思って衝撃を受けた方は多いかもしれません。
日本に血縁はあるわけではないそうですが、フランスの歌手だそうです。
他にもフレンチラップは、Ninho(ニーニョ)、Jul (ジュル)、Damso(ダムソ)、Orelsan(オレルサン)、Naps、Lomepalなどがいます。
日本にいると日本語や英語のラップが主流?かもしれませんが、フランスやスペイン語(Khea)、韓国語のラップなどなど他言語のラップもいいですよね!
また、アスリートでラッパーといえば、NBA選手で東京五輪では金メダルを獲得した、アメリカのダミアン・リラード選手や、サッカーオランダ代表のメンフィス・デパイ選手がいます。
リラード選手は、Dome D.O.L.L.A.という名前で活動していますし、デパイ選手は最近クラブチームを退団してしまいましたが、Memphis Depayでコロナ禍で試合ができないときも活動していたそうです。
このような選手も中にはいるので、ヌガペト選手も決して不思議じゃないですし、コート上ではないところで、そのセンスを活かしてほしいですね。
他にもセンスが光るヌガペト選手・・・
他にも、ヌガペト選手の個性は髪型や服のセンスにも表れていて、髪型は現在金髪のソフトモヒカン?ですが、過去にはボウズだったり、違うカラーだったりとアーティスティックです。
服のセンスまで筆者はあまり気にしていないですが、また一目置くセンスですね。
ヌガペト選手のエンターテイメント性やセンスは知っておかないと損です。
ヌガペト選手はバレーボールでも多種多様な技を使うことで有名ですよね。
フェイクセットはヌガペトが始まりということも言われています。
オーバーヘッドショットなども最近の試合でも出ましたが、これをとっさに使える選手はまだまだいませんし、トリッキーなプレーで点を取る選手です。
音楽で新しいものを生み出すヌガペト選手は、バレーボールでもそのマインドが活かされていますね。
自分を貫く精神は、時に他人と衝突を起こしますが、こうしていいものを作り出すこともありそうです。
まとめ
今回はヌガペト選手のキャリアや音楽について書かせていただきました。
正義感が強くて、意志が強く、自分を通していく。
そんな選手のコントロールは難しいが、監督や周りの方々がうまく導き、のちに才能が開花していった魅力的なスター選手・ヌガペト。
彼の信じる道をサポートしてくれた人がいたのはとても幸運でしたよね。
エンターテイメントの世界でも同じように活躍していくのでしょうか!
子供のころから一つにしぼることなくいろんな事をやっておくことは、後々いろんな分野で才能が開花することにつながりますので、夢中になって何かに取り組む子供の芽を、摘まないように、摘まないようにしてあげたいものです。
命令するのではなく導いてあげる・・・(これがリーダーシップの本質)
大切に花に水やりをするように育んであげたいです。
突然話は変わりますが、パリオリンピックのブレイキンの「DJ」は2人で担当されていましたよね。女子のときも、男子のときも確か同じ方でしたよね?
DJがアップで映ったときの、少々テンパっている様子などもなまなましくて、2人でずっと回しているのだから、かっこよさだけが見えがちですが、DJも大変なのだなと労いの言葉をかけたくなった瞬間でした。
MCもずっと盛り上げてくれましたね。
ブレイキン(芸術)とMC(盛り上げ役)とDJ(音楽)は欠かせないセットなのですね!
ここにラップであったり、歌手などもっと違う要素も加われば、ひとつのショーになるわけなので、ますますファンが増えますね。
昔から好きなバレーボールの大会ももちろんですが、ヒップホップカルチャーやブレイキンの大会もまた見逃せないなと思わせてくれました。
ヌガペト選手含む、選手の皆様、ありがとうございました!
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